「絵画堂」誕生秘話
2020.10.30
東京・青山にオープンした最初の店舗
1948年、戦後の名残がまだ残る東京・青山の地にアートギャラリー「絵画堂」は誕生しました。
青山の象徴的な建造物でもある聖徳記念絵画館に続く並木道の入り口に、二階建ての店舗を構えたのが現在まで70年以上続く絵画堂の歴史のはじまりです。
当時は米軍進駐軍のお客様が多く、黒塗りの車が何台も並木道に連なる光景が印象的でした。日本画の販売と同時に、外国人のお客様から母国より持参したアート作品の額装したいという多数の要望を受け、お店の裏に額装職人が構えるアトリエも構え、額装のオーダーも数多く受けていました。
東京オリンピックを機にピカソやシャガールなどの海外の大家を取り扱う
オープン当初は浮世絵や現代木版画など日本画の作品のみを取り扱っていましたが、大きな転機が訪れたのは1965年の東京オリンピック開催でした。
お店の前の道路(現在の青山通り)がオリンピック開催に伴い拡張され、絵画堂の店舗もビルへと生まれ変わります。このビルは著名な建築家である村田豊氏に設計を依頼して建築したものです。
店舗の拡張に伴い事業拡大を目指していた頃、知人から欧州の画商や版元などの紹介を受け、ピカソやシャガールなど海外の一流アーティストの作品を取り扱い始めました。現在ではこうした海外の一流アーティストの作品を取り扱う国内の画廊も多くありますが、当時の日本では非常に貴重なことでした。
また同時に平山郁夫氏や岩橋英遠氏など国内一流アーティストとも交友を深め、展覧会なども頻繁に開催し、この時期よりギャラリーとしての基盤をより強固なものにしてまいりました。
日本を代表するホテル御三家で開店
こうして、戦後から国内外のアーティストの取り扱い作品の幅を広げ、日本を代表するアートギャラリーの一つとして、1960年〜1970年にかけてホテルオークラ、ホテルニューオータニ、帝国ホテルのホテル御三家にお店を構える機会に恵まれます。
現在の店舗が位置する帝国ホテルアーケードは、オープン当時「外国のお客さまに、ホテルから一歩も出なくても日本の最高の文化と伝統芸術を楽しんで頂く。」というコンセプトがあり、日本を代表するジュエラーや呉服屋、電機メーカーなど錚々たる顔ぶれがそろっていました。ホテルのアーケードという立地にお店を構えていることもあり、海外からの賓客が今も訪れてくださることは青山のお店を開業した当時から変わらぬ光景の一つでもあります。
インテリアアートへの参入
時代の移り変わりと共にアートのあり方やお客様からのご要望も多様化し、2000年頃から、ご家庭で楽しまれる絵画の販売以外にも、ホテルやオフィス、病院、商業施設などの空間デザインのアートコーディネート事業も手掛けるようになり、現在までに500件以上の実績を積んでいます。こちらのページでは過去の導入実績の一部もご紹介をさせていただいています。
未来への展望
「令和」の時代の幕開けは私どもにとって、未来への展望を掲げるひとつの節目と考えております。
アートをより多くの方に身近に取り入れてほしいというのが私どもの願いでもあり、素晴らしい作品を生み出す多くのアーティストと、お客様をつなげる架け橋であり続けたいと考えております。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。